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2月の晴れた土曜日 ~2021年4月7日 寄稿~
2月の晴れた土曜日、あるサークルの災害ボランティアに参加。
2020年7月の豪雨災害で土砂が流れ込み堆積して水が流れなくなっている田んぼと用水路が現場。
40cmほど土砂が堆積している用水路は100Mほどに及ぶ長さ…。
軽トラックから借り受けたシャベル・スコップ・一輪車を下ろしながら作業の手順の説明を受ける。
「ひとかき、ひとかき、スコップで土砂を、土手になっているあぜ道に掘り上げてください。」 「別班は、その土砂をスコップで一輪車に乗せ、200Mほど先の土捨て場に捨てて来てください。」
誰とは無しに呟くような反応の声が…。
「こんな現場…ユンボ(小型のパワーショベル)があれば、2時間もかからず片付くのに…」
でも…周囲を見渡してもユンボは無く、誰かが持ってくる予定も無い。
そして誰とは無しに、また声が…。
「まぁ、スコップしか無いんですからボチボチやりましょう。」
いわゆる、力仕事「あるある」の反応。
『重機があれば…』 『電動工具があれば…』 『誰々さんに頼めば…』
ふと、ビックブックの一節が頭をよぎる。
『私たちは、足もとに並べられた簡単な霊的な道具一式を手に取るよりほかなかった』
私はAAに繋がり、良い気になって「もっと楽な道具は無いか?」「もっと簡単な方法は無いか?」と、無い物ねだりをするかのように…AAから離れ再飲酒を経験した。
そして自分の考える他の手段や道具をコテンパンに打ちのめされ、最後に残った『霊的な手段』を選択した。 それは決して手っ取り早い方法とは呼べず、むしろ一つ一つの手順を重視する面倒くさい方法だった。
そのうえ、「自己の正直さ」を問われる「畏れ」を伴う方法だった。
ひとかき、ひとかき、土砂にスコップを入れ掘り起こし、泥を一輪車に載せる。 単純だが確実にひとかき分の土砂が一輪車の上に載り、泥捨て場の山を大きくしていく。 30分、一時間、二時間…。
朝から臨んだ現場の用水路から少しずつ、少しずつ土砂が掻き出されていく。
作業の終わり近くの時間、一日かけて土砂を掻き出した水路に水が流される。
朝からは泥が堆積して水は流れず、異臭しかしなかったコンクリートの水路に綺麗な水が流れていく。
最初に足もとに置かれたシャベル・スコップ・一輪車だけで豪雨災害の跡すら感じない綺麗な用水路の姿に。
ボランティア作業の依頼をされた農家の方から深い感謝の言葉を頂く。
「ありがとうございます。」 「とにかく人手が無い田舎なもので途方に暮れていました。」
「なかなか行政支援も無く、困ってました。お礼の言葉がありません。」
カーテンを閉め切った部屋で、時計の時刻が朝の5時か?夕方5時か?さえ判らないような暮らしをしていて、風呂にも入らず酒臭いプンプンの身体で世の中に対しての不満ばかりを感じながら過ごしていた日々。 その自分が泥まみれになり、髪の毛まで泥の異臭プンプンになりながら、決して近代的とは呼べない道具を手にして誰かの感謝の言葉を聞いている。
「酒をやめる事しか、できてはいないが、誰かの役に立てて良かった。」
自分に提案された『霊的な道具一式』を手に取る事が出来たからこその回復の実感。
今でも時折…「あぁ、このまま私は残り人生、酒を飲むことが許されないんだ」と考える事がある。
飲酒欲求ではないが、過去のどんな場面にも一緒にいた酒が身近に無い事の一抹の寂しさのような感傷。
ただ、そんな時に酒と引き換えに手に入れる事が出来た『霊的な道具一式」 これを身に携えて、これからの人生の全てに活用していこうと思っている今。
時には泥だらけ、汗まみれになる事があっても…酒臭い、酒まみれの時間は過ごしたくないから。
そんな事を感じながら…の2月の土曜日の一日。
「暖かい春も近いなぁ…」と感じつつ、オンラインで知り合う事が出来た仲間に、感謝の言葉を文字で伝えたくて、投稿を思い立ちました。
仲間の皆さんには本当に感謝しています。 ありがとうございます。
熊本 肥後大津G コウキ